F1 スペインGP感想

ここ数年のF1でもトップ5に入る大事件が起きました。話題の若手ドライバー、マックス・フェルスタッペンが、史上初、10代でF1優勝という快挙を成し遂げたのです。
間違いなく歴史的瞬間であり、これを生中継で見られたのはまことに幸運であったと思います。
もちろん彼の優勝がもたらされた要因として、メルセデス2台の同士討ちリタイアという事件があり、途中まで彼よりも勝利に近かったリカルドの戦略的失敗という偶然も見過ごすことはできないのですが、それを差し引いても、あの若さでの初優勝、ましてや移籍後初戦という困難な状況の中で成し遂げたというこのリザルトが偉業であることはまぎれもないことですし、独走の楽なレースではなく、終始ライコネンのプレッシャーを受け続けながら走り切った末に勝利をつかんだというのですから、これはもう絶賛に値するといえるでしょう。
とはいえ、とにかく驚き。まさかこうなるとは・・・というのが率直な感想です。

スタートはニコがハミルトンのスリップについて、1コーナーでアウトからオーバーテイク、しかしなぜかスタート時のエンジンモードの選択が間違っており(ミスか?)、3コーナーへの加速が悪かった。そのせいでスキありとみたハミルトンがインを刺したんですが、ニコは当然ブロック。そしてグラスにはまったハミルトンがコントロール不能になってニコに突っ込んでしまい、両者リタイア・・・と。どっちが悪いとかは一概に言えないかもしれませんが、ハミルトンが強引すぎたという見方が支配的ですかねぇ。私としてはニコの連勝が止まっちゃったのが残念ですが、もし勝ってたらあのマンセルとシューの記録に並ぶわけで・・・いや、確かにニコ様はマンセルと同じように無冠の帝王と言われてるけど、あのずぶといマンセルと並ぶのは違和感あるわーー(^^;;)。どっちかっていうとハミの方がマンセルのエゴティスティックな振る舞いを思い出させるし。シューマッハと並ぶのはもう、口に出すまでもなし。それに準ずる記録で止まるのはむしろニコにはちょうどいいんじゃないの(^^;;)。
一方のハミはグラベルで珍しく顔を手で覆う仕草なんかしちゃって、マズったって自覚あるのね(^^;;)。悠然と構えてて油断ならないように見えたけど、内心穏やかじゃなかったのかなあ。
ここでハミが反撃の出鼻をくじかれたのは流れ的に痛かったですね。この先同じような場面に出くわしたら、ニコが何をしてくるか、はっきり悟ったでしょう。

それ以外もかなり面白いレースだったと思います。マックスvsキミだけでなく、ベッテルとリカルドも終盤かなり緊張しましたね。リカルドはガッツあるよねえ。もっと勝たせてやりたいよ。次のモナコはレッドブル速そうですよね(^^)
いいとこ走ってたアロンソがリタイアしちゃったのは残念でしたが、バトンは第1セクターで苦しみながらも第3セクターで稼いで入賞!こちらもモナコとかに向いてる車のようなので、次戦が楽しみ。

序盤にサインツがジャンプアップして3位を走ったのにはすっごい期待したんだけど、残念ながら所詮はトロロッソでしたか。でも最終的には6位。ズルズルいかなかったのは立派でした。レッドブルとフェラーリが2台残ってるんだから、あとは上にボッタスだけ。だから6位ってのはかなり上位でフィニッシュしたことになりますよね。クビアトも悪くはなかったけど、完全にかすんじゃったな。FP1でシートの干渉部位を削って調整してたくらいですから、フェルスタッペンとはチームの準備のレベルが違ったのかもね。でもトロロッソは今年も車の素性はよさそうだから、頑張ってほしい!

注目のハースは途中までグロージャンが良かったけど、終わってみるとグティエレスのほうが11位と入賞目前。ちゃんとバトルしてましたね!参戦初年度のチームだろ?ブランクのある元最後尾ドライバーだろ?こういうクルマは17位あたりが定位置ってのがここ数年のパターンでしたが、ハースは違うねえ。マノーもアップデートを持ち込んできてたらしいし、間違いなく今年は戦力が拮抗しつつあるぞ。いや~~今年のF1面白い!はやくモナコやんないかなーーー(^^)




スポンサーサイト

No.2という働き方 読後感想

細島誠彦著、『No.2という働き方』、読了。

組織のトップ、No.1を社長と想定した場合のNo.2のあり方を説き、No.1を求めて安易に起業したり、ノマドになったりするな、その前にNo.2という、自分を磨いて手に入れられるポジションを狙え!と諭すというのが本書の内容。平易な内容なのであっという間に読み終わる。
自分はビジネスマンではないので、著者の言うNo.1とか2とかのシチュエーションがピッタリ重なるわけではないが、言いたいことは多いに共感できる(自分の組織の場合はNo.1もその上の部下なので、No.1はちょっと変わった人というのがちょっと当てはまらないけど)。
自己啓発本の一種だろうとは思うが、自分としては既にこのような意識にある側の人間なので、逆にこの本を部下に紹介したくなる気持ちに駆られる。しかしそれを短絡的にやってしまうと、いわれたほうの心には響かないことが多いんだよな~~~~。
こういうのはお説教と紙一重なので、タイミングを計って、言われる側が求めているときとか、ちょうどいいころあいを見計らってやるのが吉。

後輩達と話してみると、こういう働き方とか生き方について、無思慮な若者は自分の周りには少ない。根がまじめな連中ばかりといってよく、先輩連中だって自分の生き方には思うに任せぬところはあろうけれども、このような話は理解できる。
しかし、先輩連中は、はたして自分自身でこういうことを考えたことはあろうか。若手を上手く諭せる先輩は実に少ない。見た目には仲良くやっているようでも、後輩に薫陶を与えるようなことは・・・ありそうに見えないのだ。
立場上後輩を教導することを求められるようなシチュエーションで、適切な態度で教育する場合、どのようなスタンスを取ればよいかをバランスよく確立することは容易ではない。そんなことを考えるくらいの連中なら、やすやすと自分に満足することはあるまいから、バランスどころか確立している気にさえなるまいが・・・。40代、50代にもなって若い者の心に染み入るような話ができないのは、これでいいのかなぁという暗澹たる気にさせる。
もちろん自分もたいしたことをしゃべっているのではないのは承知しているが・・・。話が薄っぺらいのは思想が借り物だからではないだろうか。自戒としたい。





蘇我氏 読後感想

倉本一宏著、『蘇我氏-古代豪族の興亡』読了。
大化の改新として歴史の授業で習った政変は、その際勝利した側によって書かれた日本書紀を基にして語られてきたため、フィルターのかかったストーリーが広く世に伝わった。つまり、天皇をないがしろにする蘇我氏の専横を打倒したという、勝者の正義が強調されたものになった。正史として伝わるものはえてしてこういうもので、その出来事の歴史上の意味を客観的に理解するならば、その反対側の立場の主張にも耳を傾けるべきである(昨今、明治維新についてこのことが世に問われるようになってきたのは注意に値する)。

大化の改新は正確には政変の後の政治改革を意味し、クーデター自体は乙巳の変と呼ばれる。本書は蘇我氏と題するだけあって、蘇我氏の起源を出来る限りの情報源から論考し、乙巳の変よりも前の時代についてかなりのボリュームが割かれている。この豪族の出自はいくつかの説があるようだが、著者らは考古学的な見地から、記紀の後、史書に姿を現さなくなる葛城氏が起源であると推定している。葛城氏は既に仁徳天皇の時代に、大和朝廷の有力豪族の中でオオキミ家の外戚をなしており、朝鮮半島関係を担っていたと伝えられている。蘇我氏の先祖として明確に出来るのは馬子の前の稲目だが、彼の代に葛城氏から蘇我氏が独立したものと考えられる。稲目は大臣(オホマヘツキミ)として歴史に姿を現す。オホマヘツキミとは大王の臣下の長と考えてよかろう。そして稲目の代にはすでに、蘇我氏は唯一のオホマヘツキミを輩出する家系となっていた。このことは貴種血統という位置づけとしての蘇我氏の意義を意味するものと認識される。

さて、稲目のあとを継いだ馬子は若くして大臣となり、この世代の天皇家と複雑に姻戚関係を結んだ様子が、歴史に明らかにされている。乙巳の変の頃には馬子の子息は有力な分家をなしており、蘇我氏同族の中で争いがうまれるほどになっていた。最有力豪族であるから、蘇我氏の派閥に他の有力者たちも別れて争った。当時は朝鮮半島の情勢が逼迫しており、その対応策には朝廷の中で意見の相違があったものと思われる。また、乙巳の変には、蝦夷の甥に当たる蘇我石川麻呂もが協力者として関与していたことが知られ、このような背景から、乙巳の変は朝廷の中の権力争いといえる側面があり、蝦夷・入鹿親子の専横をとがめる正義の革命とだけでは説明できないことがわかる。実際乙巳の変の後、蝦夷・入鹿の筋、蘇我宗家は断絶したものの、代わって石川麻呂が宗家となって存続した。つまり、蘇我氏は大化の改新で打倒されたわけではなかった。

しかし、宗家に取って代わった石川氏は他の蘇我氏傍流(蝦夷の弟)に讒訴されて滅んでしまう。蘇我氏の傍流は結果的に、このような内輪での争いを繰り返した結果、勢力を弱めるが、ただちにいなくなったわけではなかった。その同じ時期、蘇我氏の血統と姻戚関係を結ぶことは一種の権威付けと認識されていたようで、鎌足の子の不比等は蘇我氏の娘を妻に迎えている。これを見ると、後の藤原氏は、かつての蘇我氏の立ち位置を踏襲して、より高度に同じことをしたように見えてくる。

蘇我氏はこの後多くの氏族に分かれるが、嵯峨天皇の后を輩出した田口家以外は史書にも現れず、平安時代中盤からは、少なくとも規定上記録される以上の官位は授けられなかった。これは氏族として絶滅したことを意味するものではない。蘇我氏は宗岳氏、宗岡氏と名をかえ古文書に現れるが、彼らは平安時代にも経済活動を活発に行っていた。武士となっていったとみられる集団もあった。河内国石川郷は河内源氏の根拠地だが、ここは蘇我氏の一族である石川氏の根拠地でもある。史書には現れないが、おそらく両者は混交したであろう。
貴族としては藤原氏に及ぶべくもなく没落していったが、蘇我氏は突然この世からいなくなったわけではない。こんな当たり前のことが、歴史として学校の授業で学ぶとあまり意識されないように思うのは私が知らないだけだろうか。

南北朝の騒乱で敗れた南朝勢力が後南朝として闇に埋もれていったように、少しずつフェードアウトしていくのが歴史の中での自然な成り行きなのであろう。このようなその後の○○という歴史は、通り一遍の通史とは明らかに違った歴史観を見るものにもたらす。マイナーな歴史は好事家の興味の本領と思われているかもしれないが、その示唆するところは深い。世の中が大なり小なり過去を踏まえて成り立っていること、浅薄に歴史を見ることの危険性(特に自分に都合のいいところだけつまみ食いして歴史を解釈することの危うさ)を学ぶのには、多くの教材を提供するように思うがどうか。好事家どころか、むしろある程度以上の年齢の生徒には、通史を補うものとして教授すべき事柄のように思われるのである。

ちなみに千葉県には蘇我、平群、鎌取(鎌足に由来)という地名がある。古くからの地名には何がしかの縁がある。郷土史を学ぶ機会は子供時代にとどまらず豊富な昨今である。そういったものに理解を示すのは、花をめでる、詩を吟ずるといったものと同じようなレベルで、心を豊かにしてくれることだと思う。



F1ロシアGP感想

今更ながらロシアGPの感想。だったらいいな~と思っていた、ロズベルグの4連勝で閉幕したわけですが、なんといってもこのレースにまつわる話題で最大のネタは、クビアトの誤爆とその後の顛末でしょうなーー。
多くの人が指摘する通り、2コーナーの入り口でクビアトがブレーキを遅らせすぎて、前にいたベッテルのオカマを掘った、と。それでパニックったのもあるでしょうが、クビアトはその直後のコーナーで、再度ベッテルに追突。こんな短時間で同じ車に2回ぶつかるという事例を初めて見ました・・・。そしてそのわずか3日後、クビアトのトロロッソへの降格と、フェルスタッペンのレッドブルへの昇格が発表されたわけです。まぁチームとしては以前から考えていたんでしょうが、このタイミングですから、どう考えてもクビですな。クビアトだけに(^^;;;)。
挫折のクビアトは気の毒ですが、こうなったらトロロッソで新規まき直しで頑張って、輝きを取り戻して欲しいね。そしてフェルスタッペンがどんな走りをするか、次のスペインの最大の興味はこれになりましたな~~。早く見たい!!

その他にも、ガンガン追い抜くハミルトンとか、見どころの多い面白いレースだったと思います。オーバーテイクが難しいといわれていましたが、結構追い抜きあったよね?バトンもバトルしてたし、この集団は延々と車列になってて緊張感あったと思います。その一方でマグヌッセンはどうにかこうにか耐えきってルノーに入賞をもたらすし、グロージャンはまたしてもジャンプして入賞するし。アロンソもついに入賞したしね。予選も惜しかった。あと少しでQ3だったのに。でもバトルできたってのが明るい材料なのは間違いない。今後が楽しみです。
今のところザウバー以外は、ポジティブな要素が見えてますが・・・ザウバーはどうなっちゃうんでしょうねぇ。アルファロメオが買収する話はなくなっちゃったんですかね。BMWザウバーの頃が懐かしいよ。

タイヤ選択はちょっとはずれでしたね。ミディアムが機能していたらリカルドなんか復活したかもしれないけど、残念ながら毎回そううまくはいかないのでした。
リカルドといえば、FP1の最初だけ、キャノピーつけて走りましたね。走ってる姿もなかなか悪くないんじゃないかな?(CSなので毎戦FP1から見てるんです)。ああ見えて非常に強度もあるみたいですし、私はハロよりは好きですね。たぶんもっとスタイリッシュにデザインがこなれていくんじゃないかと思います・・・が、無いに越したことはないかなぁ(^^;;;)。

予選はベッテルの降格が決まっていた上にハミルトンが途中で走れなくなっちゃいましたので、あんまり面白くなかったな。10位からスタートして2位フィニッシュはハミルトンとしては絶対必要なリザルトではあったでしょう。ニコを応援する私としては、もうちょっとハミにはおとなしくしててほしいかも。そうね、少なくとも100点差くらいないと不安だなぁ(爆)。




ケルト妖精物語 読後感想

W・B.イエイツ著、ケルト妖精物語、読了。
序章を読んでいるときはあまりにも難解な、チンプンカンプンな文章に辟易したものだったが、本文は面白かった。要はアイルランド版の日本霊異記みたいなもんである。妖精・フェアリーというと、どうもおとぎ話の愛らしい姿を想像するが、本来は異形の怪異なわけで、人にいいことをすることもあり、逆に恐ろしいことをすることもある。日本のこぶとり爺さんとそっくりな話が収録されているのに驚いた。やはり平均的な身体外観から乖離した異常は、洋の東西を問わず人々の関心を集めたものなのだろう。身体の異常を自らの力で自由に解決することは、人類にとっては長らくできないことだった。だから超自然の力で解決されることを夢見たり、逆に背負わされる理不尽も超自然の力で説明しようとする発想があるのではないか。
民間伝承の奇譚、怪異譚は学術的な意味を離れて、単に読み物として面白い。雨月物語も面白かった。北欧のエッダも面白いと聞く。グリム兄弟が蒐集した民話も読んでみたい。




PageTop

プロフィール

カトリーヌ

Author:カトリーヌ
主にヨンサンを中心に作っています。作ったり作らなかったり、はなはだ不安定な模型ライフですが(^^;;)

最新記事
QRコード

QR

Visitor

カレンダー

04 | 2016/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最新コメント
リンク
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム

RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム